歩みについて考える 1) ナンバ歩きとは

「ナム(ン)バ歩き」とは簡単に言えば、表面的には、右手右足を同時に出す歩き方であり、右脳、左脳をバランスよく活性化させ、しいては脳をよみがえらせ、ウォーキング歩きのようなねじれがないため、腰等、体に負担をかけることの無い日本古来の素晴しい歩きといえます。
「ナンバ歩き」は最近マスコミ(TV、新聞、雑誌)に多く取り上げられ、私自身も関西テレビ、テレビ大阪等に出演解説している注目の歩き方です。
「ナンバ歩き」は日本人独特の歩き方で、古来より腰を帯で締めている着物生活をしていた日本人にとっては当たり前の歩き方でした。140年前の江戸時代までは、日本人すべて「ナンバ歩き」でした。
明治維新の文明開化の富国強兵の波は軍隊、教育に強く影響を及ぼし、西洋文化が全ての面に導入され、日常生活からは和服から洋服に変わり歩き方もナンバ歩きから現在の行進の歩き方に変わりました。「歩行道」普及協会では「ナム(ン)バ歩き」の解釈を、日本人独特の身体所作であり、日本語を母国語としている日本人だからこそ簡単に行う事ができ、脳を活性化させる事のできる最大の術と理解しています。

今なぜ日本古来の歩き方「ナンバ歩き」が見直されたのでしょうか?

世界中がグローバリゼーションの渦に巻き込まれている現在の社会情勢の中で「国の個性」が今後ますます重要になってきており、日本も例外ではなく、その結果、憲法改正論議や、行政改革論が声高に叫ばれているのが現状です。その大きな渦の根本を正さなければ、日本は変わることができないという潜在エネルギーが「歩み(意識)」を変えようとの表れであり、「ナンバ歩き」が表面化してきた一因ではないかと思われます。
 ナンバ歩きは多くの特徴と利点を持ち、実践する人たちも急増している注目の歩き方です。
 もちろん、当協会も歴史と歩きの理論解析をして、ナンバ歩きを歩行道月例会では会員全員が屋外で「ナンバ歩き」を実践しており、多くの成果と高価があることを発見し、これを普及しなければならない使命感からナンバ歩きの小道具として歩行道の開発をしてきました。
 その当協会の理論が認められ、特に健康雑誌「壮快」では特集記事を組み、16ページにわたり各専門の先生方が医学的、運動生理学的立場での立証説明、またナンバ歩きの実践方法と体験効果も詳しく掲載されております。
 又、「壮快」では、その反響の大きさから第二段の特集が組まれ、私自身の解説や既に実践している「歩行道」が大きく取り上げられる予定です。(3月16日発売)
 
 

2) 本能に基づいた自然な歩き方 

 明治維新前、江戸時代までの日本人の歩き方は、右手右足を同時に、左手左足を 同時に出す「ナンバ歩き」であったことを、野村雅一氏の解説(囲み参照)で知り 、大変驚きました。そこで、「ナンバ歩き」について調べてみました。  日本の伝統芸能の中には、この「ナンバ歩き」がいたるところに残されています 。また、着物の生活では、腰で帯を締めているために、右手左足を同時に出す現在 の歩き方では、腰のところで上半身とか半身がねじれるため、帯がゆるんでしまい ます。着物の生活では、足腰一体の「ナンバ歩き」が理にかなった当然の動きにな るわけです。日本文化は、この「ナンバ歩き」の動きを基本に創られたものだと思 います。

 
「ナンバ歩き」の時代の右脳と左脳の働きに、現代の私たちはもっともっと注目す べきではないでしょうか。「自然を感じる脳」と言われる右脳は、眠れる脳とも言 われていますが、ことばで表現できない「何かを感じる」ことは、まだ眠っている 人の大きな可能性を拓いていくカギとなると思われます。
 

(3)矯正された、作られた歩き方 

 指揮官の号令一つで何百人もの兵隊に同じ行動をさせるには、頭で考えずに機械的に動くようにしなくてはなりません。歩き方を統一させると思考が停止し、号令に機械的に従うようになるので、「行進」が軍事訓練に取り入れられるようになりました。
 現代の左脳優位の生活では、物事に対して深く考えることなくボヤーとしている状態が多いのです。さらに、文明の発達により、冬には暖房器具で夏の状態を、夏にはクーラーで冬の状態を作って 生活している現在では、自然に対して体の状態と脳の働きが全く別になっています。脳は思考停止状態になっていますし、歩き方も左脳優位の状態になってしまっているのです。

 
 

(4)「歩行道」がめざす歩き方…「自分を磨く歩き」を楽しむ

 自然の環境や状態の変化に対応できる歩きができるようになり、さらにそれを無意識に行えるようになれたら、とても楽しいことになるはずです。
 右脳優位の「歩み」と左脳優位の「歩く」を知った今、無意識で歩いていた行動を意識に上らせてみましょう。そして、通勤・通学・会社・仕事のときなどの時間制約された急ぐ歩きのときは「行進歩き」(左脳歩き)、時間にゆとりのある旅行のときなどには「ナンバ歩き」(右脳歩き)と、意識して歩いてみましょう。このように意識して歩いてみると、頭の中で右脳と左脳がリズムをとっているような感じになるでしょう。
 宇宙には「膨張と収縮」、呼吸には「吸うと吐く」、体には「交感神経と副交感神経」というように、さまざまなところに相反するリズムがあるのですから、歩きにも「左脳歩きと右脳歩き」があって当然だと思います。
  「歩行道」は、実践されたかたが楽しむ歩きですので、それぞれの実行者によって「気づき」も当然違ってくると思います。また、「0(ゼロ)」へ向かう歩きを実践していくなかで、今まで背負ってしまった余分なものが減っていく喜びは、モノでははかれない「素の自分」が見えてくるものでもあるでしょう。

※掲載のイラストは、会員の深沢百合子様によるものです。

   

ナンバ歩き、意外とフツー   

 ナンバとは、右足と右腕をそろえて前に出したいわゆる半身の構えのことで、簡 単に言えば、農夫が鍬を手にして畑を耕す姿勢である。盆踊りなどでもそうだが、 右足が出れば右手も同時に前に出るこのナンバが日本芸能の基本なのだ。この姿勢 で右半身、左半身と交互に出して歩行に移ると、歌舞伎の六方でその誇張された形 が見られるようなナンバ歩きとなる。ただ、腕はほとんどふらない。したがって、 右肩と右足、左肩と左足がいっしょに出るわけだ。中世や近世の絵をみても、ナン バで歩いたり走ったりしている図が多い(江戸時代の飛脚はいつもナンバで走る姿 で描かれている)。

 しかしじつは、古代ギリシャの壺絵にもナンバで走っている姿が数多く見られる 。また、トルコの近衛兵団のイェニチェリの行進は「トルコ行進曲」に楽想をあたえたことで有名だが、彼らの行進もナンバ式なのだ。  

 またチベット人も田舎では今もナンバ風に歩いているときく。そうしてみると、 ナンバというのも人間にとってさほど特殊な歩き方ではないのかもしれない。 (『しぐさの人間学』国立民族学博物館・野村雅一教授――「日本経済新聞」19 98・10・14より抜粋)